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↑ 渡辺明氏が1980年に立川駐屯地祭で撮影されたUH-1H/41659
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↑ 1985年三沢の航空祭に展示された霞の目駐屯地の東北方面ヘリコプター隊所属UH-1H/41605。 H型生産6号機である。
↑ 1986年キャンプ富士に展示された明野駐屯地航空学校所属UH-1H/41645。
↑ 1986年11月の入間基地航空祭に展示飛行したUH-1H/41669。この機体は後に東北方面ヘリコプター隊へ移動。
ベトナム戦後期 米軍はUH-1Hを3500機以上生産して、多くをベトナム戦に投入している。出力アップされたH型がベトナムで活躍する頃には、B型時代の武装化研究で生まれた専用武装ヘリAH-1Gが活躍するようになったので、UH-1Hの役割は迅速な兵員の輸送が中心となっている。武装もせいぜいドアガン等を付ける程度で、本格的な護衛任務、空中からの攻撃任務はAH-1に任せるようになっていた。一方陸上自衛隊の方もベトナムでのUH-1等ヘリの活躍を大いに参考にして、将来の陸自航空の方向性を検討していたはずだ。1962年(昭和37年)からスタートした第2次防衛力整備計画(2次防)では、管区隊制から師団制に移行し13個師団化が行われると共に、主要装備の近代化、機動力の増強が目標とされた。2次防に続き1967年(昭和42年)からの3次防では、具体的なヘリによる機動力の増強が謳われ、大、中型ヘリ83機を整備するとされている。この方針に従って、連絡/偵察/観測が役割だった陸自航空に本格的な「輸送」が使命として加わっていくのである。V-107の導入と共に、ベトナム戦で機動力を見せた中型ヘリについても増強が図られ、UH-1Bは2次防/3次防、UH-1Hは4次防/53中業/56中業/59中業での中型ヘリの目玉として配備が進んだ。
1973年(昭和48年)7月17日富士重工でUH-1Hの量産1号機が初飛行し、同年9月には2号機/3号機が納入された。H型は狭かったB型のキャビンを2m程拡張したので全長も1.2m程長くなったが、それ以降のUH-1派生型の基礎となったキャビンである。エンジン出力もB型の約1.5倍の1400shpと強力な為UH-1Bのページでも記述したが、空気の薄い山岳地帯ではB型は兵員3名ぐらいしか運べなかったものを、H型ではその倍は載せられたはずだ。平地であれば、乗員2名を除く積載兵員数はB型7名からH型は11名と4名増となっている。因みにJ型になっても、キャビンの大きさが変わらないので、定員数はH型と同じとなっている。
↑ 1984年松島基地祭で撮影したUH-1H/41637。私が仕事で台湾駐在をしていた1981~1983年の間に本格的に迷彩化が進んだようで、1984年以降は迷彩機を目にすることが多くなった。
↑ 1983年渡辺氏が築城基地祭で撮影された西部方面ヘリコプター隊のUH-1H/41636。蛍光色に塗られた部分と黄色に塗られた部分の色の違いが面白い。
↑ 渡辺明氏が1980年に立川駐屯地祭で撮影されたUH-1H/41602。量産2号機は意外にも立川に配備されていたのであった。
↑1980年 Page-1の写真から2年後に、松野氏が明野で撮影された3色迷彩のUH-1H/41634。直ぐに消されていないことから迷彩の研究は引き続き行われていたのであろう。
↑ 1981年渡辺明氏が横田基地で撮影されたUH-1H/41633。非常に興味深いのは↓の写真でも判るとおり、1981年の時点で陸上自衛隊は既に複数以上の迷彩パターンを研究し始めていた事である。同時の文字のロービジ化も検討しており、デイグロ蛍光顔料を使った従来の目立つマーキングの方式は「戦える自衛隊」にはそぐわないと言う考え方に変化していたのである。
↑ 1981年渡辺明氏が入間基地で撮影されたUH-1H/41626。1枚上の33号機とは迷彩の色分けパターンはほぼ同じであるが、薄い色の部分がミディアム・グリーンで塗られている。
↑ 1983年 百里基地に展示されたUH-1H。B型に比べ100Km程航続距離も伸びたH型は、各地の航空祭にも度々展示されるようになった。
↑ 上2枚の写真は、1980年10月に松野氏が明野で撮影されたUH-1H/41624/41645。この当時は明野でもこうした機動演習風の展示が行われていたのですね。
↑ 渡辺明氏が1980年に立川駐屯地祭で撮影されたUH-1H/41627。量産27号機、KM-24で撮影された写真であるが、やはりコダクロームのスライドフィルムは再現力が優れている。
Wings
↑1983年渡辺明氏が霞ヶ浦分校で撮影されたUH-1H/41655。一枚上のUH-1H/41636との塗装の違いが判る。オレンジの部分はアメリカのDayGlo社が1930年に発明したデイグロ蛍光顔料が使われている。デイグロ蛍光顔料は、第二次大戦中味方の誤爆防止のためにアメリカ陸軍で採用され、その後世界中で使われた顔料であるが、空中衝突防止や救急用途識別などで自衛隊でも多用された。光の反射率が通常塗料の2~3倍もあるので、遠くからでも識別がしやすい特徴がある。